2010年9月21日火曜日

休日というのは、行動パターンが変わるものであることを留意しなければいけない

休みの日はTwitterのツイートが少なくなるように、月曜日が休みともなれば、ジャンプも休んでしまうように、なかなか普段行っていることから、行動パターンが離れてしまうものである。

普段なら、7時に起きて、準備をし、電車に乗って、満員電車に揺られながら会社に行って、どうにかこうにか営業だったり資料作ったりして、合間合間にTwitterやったりカフェで休憩したり、本屋に行ってみたりなんかしながら一日をすごし、そして疲れ果てて帰って寝るのである。

しかし、休日ともなると昼間で寝て、気分がよければ、ちょっと外に出かけて、帰ってテレビ見て、寝る。

PCとケータイ見る時間ないじゃーん。

そう、僕らは1週間7日の間2日間は携帯を見ないでテレビ見たりしているのだ!

思ったよりもね。

というワケで、ブログを書く時間て意外と作れないよねという話。

2010年9月16日木曜日

「買う」をストーリーにするってことは、生きるってことに密着させなきゃいけない

(※画もなくて長文で読みづらくてすみません!!!時間のある時に調節します)

昨日(2010/9/15)は久しぶりにスクーリングパッドの農業学部に顔を出してみました。

たまたま約束が一日ずれたので、丁度聞いてみたかった、
「地元力」を推進している民俗学者の結城先生のお話を聞いてきました。

おそらく50半ばの男性なのですが、
仙台で大きなデザイン会社の社長をしていたところ、
コピーを書いたりして、嘘(というと大げさですが)を言って
お金をもらうことに疑問を感じ、会社をやめ(!?)、
今日までの20年ほど、日本の村を回って話しを聞いて行ったそうです。

さて、今、結城先生は地回りして感じたことを新聞や書籍で発表し、
地域の人々にもその考えを伝播しいる、行動家的な部分を持っています。

そして、実際に先生が主体として動いているのが、
鳴子の米プロジェクト」です。

そのプロジェクトは、鳴子温泉の活性化のための企画なのですが、
ただ、観光を推進するために上辺だけのパンフレットを作ったりするのではなく、
地元のおにぎりを旅行客に持って帰ってもらおう。
それで、鳴子を好きになってもらおうという趣旨です。

鳴子という地域はそのプロジェクトを始める前までは
休耕田が増えてきていて、最盛期の半分ほどの耕地になってしまっていたそうですが、
その休耕田を、おにぎりの分だけ再開発しようと、農家さんを口説き、
この地域の農業を絶やさないために、農家さん数人と一緒に始めたそうです。

新しいことを始めるには、やはり最初は人が着いてこないもの。
しかし、結城先生はこのプロジェクトを始めました。

始めてから今年で5年になります。
なぜ5年もつづいているのか、しかも、資料によるとかなりの活況を見せています。
そのポイントは以下のとおりだと思いました。

・地元の環境にあったお米を育てる。
・無理して無農薬にしない
・できあがったお米が一番美味しく作れる炊き方を考える
・ちゃんと持続できる金額を設定し販売する

ただこれだけです。
正確に言えば、この企画に責任をもって、赤字をすべて自分で払うつもりでいた
結城先生の「覚悟」も大事にだと思うのですが、ちょっとおいておきます。

つまり、今回ポイントで上げたものは、「続けられること」に絞られています。

ついつい、売れそうだからということで無理をしてしまうこともあります。
しかし、大事なことは小さく始めて大きく刈り取れるように続けることです。


さてさて、ここでタイトルの内容に入ってくるのですが、
そのシンプルなポイントを元に実行したとしても、
本当に持続させるには一番難しいのが金額の設定と売り方です。

この金額設定がすごい。
市価1俵1万円程度のところ、2万4千円で販売することにしています。
倍以上です。

では、なぜそんな値段でも買ってもらえるのか?
それは、結城先生がこんこんと説いていた、僕たち誰でもが提供することのできる、
日本農業活性化のための力。「食う力」を貸して欲しい。という言葉だったんだと思います。

「食う力」を貸して欲しい。

それによって農家はちゃんと来年も食べていけるだけの収入を得られ、
持続的な活動ができます。
農家の欲しい(もちろんべらぼうには取りすぎない)金額で買ってもらい、
そのことで農家を応援し、農業を若者でも食べていける職業にする。

それが、結城先生が説く、農業活性化方法であり、
「鳴子の米プロジェクト」を成功に導いているコンセプトだと思います。

確かに生活は苦しくなってきています。
しかし、食べるということを、米を買うということを、
ただ買うということで終わらせず、おいしい米を食べることで終わらせず、
それが農家の生活に直結し、環境の改善にもなり、来年の自分の食事にもつながっている。
ひとつの買うという行為が、次の行動に循環し、自分自身もストーリーの中に入っている。

無駄な浪費がなくなってきて、生活に密着した消費が続く中で、
企業経営だけでなく、生活者である僕たち自身の行動にも外部性という概念が、
徐々にはいってくるのかもしれない。

コトラーの新しい著書「マーケティング3.0」にも、
これからはソーシャルメディアとうまく活用しつつ、
環境に配慮した事業運営をしなければいけないと書いていたが、
そういうことが本当に求められる時代が来ているんだと思う。

2010年9月15日水曜日

「つぶやく」というコトバと波及効果の乖離

今日(2010/9/15)はTwitterである企業が某大手テレビ局から格安で深夜枠の営業が来たというつぶやきがあり、広告関係者の中で話題になっている。

個人的には、ツイートの主も「おいおい、こんな安いのか!?すげーな!みんなどうよ!」と(もしかしたらドヤ顔で)、気軽に書いたつもりだと思うのだけれど、Twitterは興味関心の高い話題であるとき、「つぶやき」という言葉とはかけ離れた効果を発揮し、一気に伝播してしまう。

確かに個人からすれば「つぶやき」程度の軽い行為だが、少ない人でも数十人、多いと数千人物人が見ているのだから、そのフォロワーにとって関心ごとだった時の波及効果はえらいことになる。

なんというのか「やまびこ」?

今回はネガティブな意味での波及になってしまったが、この効果というのは、もっとうまく活かしていけるんだろうなと思った夕方でした。

ではでは、今日は民俗学者の「結城登美雄」さんのお話聞いてきます。

2010年9月14日火曜日

最前線

僕がいろいろと考えたり、人にあったりしているのも、編集者になりたいという目標があるからだ。

今現在では、「編集者」という枠組みも今までの「紙」にとらわれることがなくなり、本~WEB~アプリまで、「編集=情報を見せたい人とメディアのインターフェースにあわせて加工する能力」という概念の元、いろいろと応用できる時代になってきていると思う。

その中で、今までの「編集」という概念近い中で、つまり、小説、雑誌、マンガなどのアウトプットにこだわりながらも、その表現媒体を選ばない出版社が現れた。

講談社が新しく作った会社、星海社である。


彼らの新しいメディア「最前線」の紹介文を、ここで紹介したい。



星海社はあらゆる才能が結集するウェブサイト「最前線」のプレオープンを9月上旬に向けて予定いたしております。「最前線」では、小説、漫画、そしてウェブならではの魅力あふれるスペシャル企画をすべて無料でご用意いたします。また、それらのコンテンツに対する特殊な著作権保護のプロテクトは、著作者サイドからの要望がない限りは一切行う予定がありません。ウェブ時代のオープンな表現の最前線として、「最前線」は機能していくことを目指しています。どうかご期待下さい。


注目すべきはこの「著作権保護のプロテクト」をしないという部分だ。


書籍「FREE」でも定義されたフリーミアムという概念。
それを出版に応用することは、書籍単位では行われてきた。


果たして、このモデルで売上がどうでるのか。
営業1人、編集1人というシンプルな組織で動かすからこそ、
実現できることかもしれないが、どのようなコンテンツを出し、
どのような形で売上を立てていくのか、今後に注目である。

とりあえず書く、とりあえずやる

だれかがどこかで言ってたけど、ブログはとりあえず書かないと続かない。
特に、自分の性格だと続けないとやめちゃう。

たまに書くとかはリームー。

夏になってから、とりあえず帰ったらゆっくり風呂に入って、ストレッチして軽く筋トレして寝ることにしてます。
全部でだいたい1時間くらい。

僕の場合中学までオデブちゃんだったので、普通の人よりは身体に気をつけていて、毎年夏になるとダイエットを始めてます。
そんな恒例行事も歳を重ねるに連れて慣れてきたので、極意も分かってきました。

ダイエットを続ける極意、それは、とりあえずやること!

もうそれしかない。
無我の境地。

始めの2週間くらいは辛いけど、それを超えれば、なんとなくやらないと気持ち悪い感じ。
そこまでもっていければ、もはやブッダ。

というわけで、ブログもとりあえずいろいろやってみます。

2010年9月13日月曜日

メディアが楽しくなければ誰が世の中たのしくするのか?

きっかけはコバヘンこと小林弘人氏の発言が引っかかったことにある。

「今のメディアに必要なのはメディア論ではなく、組織論・経営論」

今、なんとも、メディアが面白くないと感じてしまう。
歳を取ると共に、昔とは興味関心が変わってくるから、
そのせいだろうか?とも考える。

しかし、面白くないと感じるメディアを見ていると、
やっぱり、そういう問題じゃないんじゃないかと思う。
面白くないと感じるものは一様に「軽い」と感じる。

特に雑誌とテレビ番組。
コレが面白いんだ!って意気込みが感じられない。

でも最近、逆に面白いものも新しく出てきてきている。
1つは、雑誌「LIBERTINE
1つは、テレビドラマ「モテキ
1つは、WEBサイト「非モテタイムス

どれも、「面白いくなるためにどうすればいいか」と
とことん悩みぬいてアウトプットしていると感じる。


そこで、話が始めに戻る。
「今のメディアに必要なのはメディア論ではなく、組織論・経営論」
という言葉がそのとおりであるとすれば、
どのような組織には面白いメディアが作れなくて、
どのような組織なら面白いメディアが作れるのだろうか?

先日、Twitter上のやりとりから
非モテタイムスの編集長のめがね王さん(@meganeou)と実際に会うことになった。

そこにそのヒントがあったのだ。

どのような組織にするのか。
おそらくそれは、メディアによって変わってくるものだと思う。
(非モテタイムスの運営方針に関しては、彼のブログに説明を預ける)
しかし、彼との会話で感じたことは、
メディア・編集長・現場制作者の3者がお互いに相乗効果がだせるような
空気(ムード)みたいなものを作り出すことが出来ている。

それは、昔読んだ「POPEYE物語」に出てくる、POPEYE編集部と、そこに集まる面白い奴らという構造と
よく似ていると感じた。

なんだかわからないけど、お金のためじゃなく、
「ここで書いてることが面白い」とか、「もっと面白いもん書いてやる!」とか
そういうモチベーション。

おそらく、僕が面白くないと感じるメディアを作っている人たちは、
こういう謎の空気というかムードを感じたことがないんじゃないかと思う。

今、低迷しているメディアはTwitterをどう使うのか?とか、
電子書籍どうするとか、そういう議論が多いけれど、
多分問題を解決できる答えはそこにはない。

その答えのきっかけになれればいいなと思う実験を、
今度やってみたいと企てている。

やれるかちょっと心配だけと、
ブログにアップしちゃったからにはやらなきゃな。

というわけで、みなさま乞うご期待。

追記

最近の「BRUTUS」も面白いですねー。

2010年9月9日木曜日

解体新書という名前について

ブログ、初めてみました。

これから仕事がWEB中心になるので、その練習も兼ねてます。

なので、ぶっちゃけ題名は思いつきです!!!笑

後付ですが、基本的にWEBで行われていることは、今まで身体で行っていたことを、
WEB上で行えるようになっているサービスがほとんどだと思うので、
その、サービスと身体性の関係についてカイタイしてみようかなと思ってます。

例えば、手紙を書くことがemail
日記や考えを残すことがblog
何かを調べることが検索システム
物を買うのがe-commerce

まあ、その他もろもろが実際身体でやっていたことを
WEB上に挙げてしまったこと。

そうなると逆に身体動作が変わってくることもあると思います。

たとえば、
文字書かないとか、漢字覚えないとか、
iphoneとgoogle同期させれば手帳いらないよねとか、
Twitter使えば声と思考を代替できたり。
(なんかちょっと違うかも。。。)

なのでWEBと身体をカイタイする「解体新書」=「ターヘル・アナトミア」。